職場の近くで、こだわりの和食ランチを食べました。
味は薄め。でも、よく噛んでいると、だんだん味わいが広がってきます。
そして一番驚いたのは、食後の感覚でした。
胃が重くならず、なんともさわやかだったのです。
これをきっかけに、油をあまり使わなかった、子どもの頃に食べていた母のごはんを思い出しました。
そういえば当時、フライパン料理は卵焼きや天ぷらくらいで、食卓の中心は煮物や茹でた和え物がほとんどでした。
そんな食事に少しずつ近づけていくうちに、食後の重さを感じにくくなり、食事の量も自然と落ち着いてきました。
料理が重く感じる原因は「味」より「油の量」
プロのレシピや出来合いのおかずは、味がはっきりしていて、油も多めに使われていることが少なくありません。
以前、仕事終わりに友人が家に来ることになり、時間がなくて、晩ご飯をすべてデパートのお惣菜でそろえたことがありました。
どれも一品ずつ食べると、とてもおいしい。
でも、食後しばらくすると、胃がずっしり重く感じたのです。
たまに一品だけお惣菜を買い、ほかは自分で作ったときには、同じ感覚はありませんでした。
あとから振り返ってみると、味の濃さよりも、油の量が重なったことが原因だったように思います。
一品ずつは完成度が高くても、それが何品も重なると、体には負担になることもある。
家庭料理では、調味料や油を控えめにするくらいが、ちょうどよく感じる場面も多いと感じました。
※油とは植物油が主です、お家でラードで揚げものなどしませんからね。
つまり、抽出した油のことで、植物油、バター、ラードなどを指しています。
食材から油が摂れるのは、肉、いわしなどの青魚、貝、大豆や玄米などですね。
油を抜くのではなく「膜だけ残す」という考え方
フライパン料理でも、油を減らす工夫ができます。
たとえば、卵焼き。
以前は小さじ1杯ほど(約5cc)の油をひいて焼いていました。
今は、まず鉄フライパンをしっかり熱します。
そこに、使い終わったあと手入れ用に塗ってある油を、キッチンペーパーで軽く拭き取ります。
そのあと、新しい油(太白胡麻油)を1滴だけ落とし、全体にのばすようにして、再びペーパーで拭き取ります。
油が残っているのは、目に見えないほどの「薄い膜」だけ。この状態で、卵をいつも通り焼いています。
油を減らしても満足感が下がらない理由
香辛料は今まで通り使えますし、焼き色も工夫すればこれまでと変わりません。
つまり、油が少なくても水分があれば焦げにくく、必要に応じて焼き色を付けることもできます。
煮物と違い、時間をかけて煮含めることはできませんが、その分、火の通りやすい食材が向いています。
葉物野菜はそのまま、じゃがいもやにんじんは千切りにするなど、切り方を工夫すれば問題ありません。
フタを使えば、蒸し焼きのような調理も可能です。
つまり、食材や切り方に合わせて、鍋とフライパンを使い分ければよいということです。
私が子どもの頃、母はかまどで羽釜や鍋を使い、炭火では焼き網で魚を焼いていました。
お湯は「かんす」という専用の道具で沸かし、お茶用に使っていました。
油を減らすと、揚げ物や揚げ焼き風の料理が食卓に並ぶ頻度が減るだけで、結果として、従来の和食中心の食事に戻った感覚です。
続けられると、体調の変化に気づく人もいる
それでも十分おいしく、体が軽く感じられることがあります。
この快適さは、一度気づくと手放しにくいものです。
油の多い料理は、短時間で作れて満足感も得やすいため、どうしても増えがちです。
さらに、脳はすぐに強い「おいしい刺激」を求めますが、体は必ずしもそれを必要としていないように感じました。
現代の食事は、知らず知らずのうちに脳の欲求に引っ張られ、体の感覚を後回しにしていたのかもしれません。
脳は「こうあるべき」という意識が強く、体は素直に反応します。
体のほうが変化に敏感で、脳は原因に気づくのが遅れることもあります。
体の快適さをひとつの目安にすると、不思議と脳も落ち着いてくる。
そんな変化を感じる人もいるようです。
まとめ
油を減らしても、調理法や食材の選び方を工夫すれば、料理のおいしさは十分保てます。
続けていくうちに、体の軽さや快適さに気づく人もいるでしょう。
油を控えることは、我慢ではなく、昔ながらの和食に立ち返る選択のひとつ。
毎日の食事を少し見直すきっかけとして、無理のない範囲で取り入れてみてください。
意外と得るものの多さに気づかれると思います。

